大阪地方裁判所 平成2年(ワ)8426号 判決 1994年1月13日
原告
吉元恵子
被告
中野良一
主文
一 被告は原告に対し、金九六八万六四九五円及びこれに対する昭和六三年二月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを八分し、その五を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は原告に対し、金二六九六万八六九六円及びこれに対する昭和六三年二月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告が普通乗用自動車(以下「被告車」という。)を運転中、原告が運転する普通貨物自動車(以下「原告車」という。)に追突し、原告が負傷した事故について、原告が被告に対し、自賠法三条に基づく損害賠償を請求したものである。
一 争いのない事実
1 交通事故の発生
日時 昭和六三年二月一三日午後一時四〇分ころ
場所 大阪府四条畷市下田原二三五三先路上
態様 被告が被告車を運転中、原告の運転する原告車に追突し、原告が負傷した。
2 責任
被告は、自賠法三条に基づき、本件事故に関して原告に生じた損害を賠償する責任がある。
3 損害の填補
(一) 日新火災海上保険株式会社からの支払
(1) 治療関係費(本訴請求の対象外) 一七八万三六六三円
(2) 内払金 三六万円
(二) 労災保険からの支給 合計五八四万二一〇九円
(1) 休業補償給付 三六二万四三五七円
(2) 障害補償給付 二二一万七七五二円
二 争点
原告の損害額(入院雑費、休業損害、逸失利益、入通院慰謝料、後遺障害慰謝料、弁護士費用)(原告は、本件事故によつて原告の身体に強い衝撃が加わつた結果、本件事故直後から頭痛、頸部痛等の自覚症状と大後頭神経圧痛、反射両側亢進、握力低下等の他覚的所見が現れたものであると主張するとともに、MRI等の検査によつて判明した第五、第六頸椎間の椎間板ヘルニアは、本件事故により、椎間板を支えている周囲の繊維輪が破れ、突出したもので、これが徐々に脊髄を圧迫することによつて症状が悪化したものであるとし、また、仮に本件事故以前からこの椎間板ヘルニアが存在していたとしても、本件事故以前には全く症状がなかつたことから、本件事故が重大な要因になつて症状が出現したとの見解を示し、さらに、原告の自律神経失調症も本件事故に基づく強い自律神経症状に由来しているとして、一四四八日間の休業損害と、自賠法施行令二条別表九級一〇号の後遺障害が残存していることを前提とする逸失利益を主張する。これに対して、被告は、本件事故が軽微な追突事故であつて、長期治療を要しないにもかかわらず、治療が長期化したのは、既往症である頸椎脊椎症、頸椎椎間板ヘルニアによるものであり、また、原告の自律神経失調症は、本件事故と因果関係がないとして、後遺障害を否定するとともに、長くても二週間程度の休業損害が認められるだけであると主張する。また、被告は、仮に本件事故が原告の後遺障害に何らかの寄与をしているとしても、その寄与率は二〇パーセント以下であると主張する。)
第三争点に対する判断
一 証拠(甲一ないし三三、三四の1ないし4、三五、三六の1、2、三七ないし四六、四九、五二、五三、乙一、二の1、2、五ないし一一、検乙一の1ないし3、証人鈴木憲三、原告、被告各本人)によれば、以下の事実が認められる。
1 本件事故状況
本件事故現場は、下り坂の国道上である。本件事故当時、原告は、原告車を時速約四〇キロメートルの速度で運転して、本件事故現場の手前に差しかかつた。その際、原告車の進路上に左側からダンプカーが出てきたため、原告車が停止した。ところで、本件事故当時、被告は、被告車を運転して原告車のすぐ後を原告車とほぼ同じ速度で追従していたが、右ダンプカーより先に国道を通過できると考えていたため、原告車が停止したのに気付いて驚き、急ブレーキをかけるとともに、右にハンドルを切つたが、被告車の左前部が原告車の右後部に追突した。右衝突の結果、原告車は、荷台の右後部が少し変形し、右側テールランプが破損したが、原告車の損傷程度は軽度であり、また、被告車は、前部バンパーが少し変形したほか、左側ヘツドライトが破損し、修理代として六万円を要した。
2 原告の受傷及び治療経過等
(一) 野崎病院における治療
原告は、本件事故当日、野崎病院で受診した。右初診時に、原告は、頸部痛、左下腿部痛を訴えていたが、頸部の可動域制限はなく、神経学的な異常は認められず、レントゲン検査上も頸部、左下腿に異常が認められなかつたことから、右病院の医師は、頸部捻挫、左下腿打撲症と診断した。そして、原告は、昭和六三年二月一五日にも右病院に通院して、湿布、鎮痛剤の投与による経過観察の治療を受けた。
(二) 畷生会脳神経外科病院における治療
原告は、頸部痛、頭痛等を訴え、同年二月一八日に畷生会脳神経外科病院で受診した。右病院における初診時に、原告の頸部には、伸展、左側水平回旋の可動域制限があつたが、項部の緊張亢進、大後頭三叉神経症候群、上肢症状はいずれもなく、巧緻運動は完全であつた。そして、原告は、頸椎捻挫の傷病名で、同年五月三一日まで右病院に通院(実日数七一日)して治療を受けた。なお、原告は、右通院中、微熱感を訴え、肝障害が認められたことから、肝障害に関する治療も併せて行われた。畷生会脳神経外科病院に通院中の同年二月二五日当時、原告は、頭痛、頭重感を訴え、頸部の伸展制限が強かつたが、ジヤクソンテストは正常で、歩行も良好であり、同年三月一七日当時、頭痛がやや軽減し、大後頭神経の圧痛があり、上肢症状はなく、ホフマン反射、トレムナー反射はいずれも正常であり、同年三月三一日当時、後頭部痛は軽減せず、上肢症状はなく、上腕二頭筋、三頭筋反射、腕橈骨筋反射はいずれも正常で、ワルテンベルグ反射には亢進があり、ホフマン反射、トレムナー反射はいずれも正常で、握力は、二〇キログラムと一九キログラムであり、レントゲン検査の結果では、第四、第五頸椎に不安定性が認められた。また、右病院の医師は、同年二月二二日当時、原告がうつ状態にあると考え、同月二五日当時、原告の症状には精神的な部分が強いとの印象を持つており、同年三月一〇日当時、精神的な問題も疑われると考えていた。そして、原告は、畷生会脳神経外科病院に通院中、投薬による治療のほか、同年三月三日から頸椎牽引等の物理療法による治療も併せて受けた。
(三) 松下記念病院における治療
原告は、畷生会脳神経外科病院に通院中の昭和六三年五月二七日に松下記念病院で受診した。右病院における初診時に、原告には、頸項部痛、歩行時のふらつき、頭痛、悪心、頸項部硬直の症状があつた。そして、原告は、同年五月三〇日から同年六月二四日まで右病院に入院し、頭部CT、脳波、頸部レントゲンの各検査を受けた結果、第五、第六頸椎間の椎間腔に狭小が認められ、頸項部痛に対して低周波治療等のリハビリ治療を受けたが、効果がなく、通院による経過観察に切り替えられた。しかし、原告は、通院中も症状が改善せず、両上肢の腱反射の亢進、両上肢の筋力低下があり、歩行時のふらつきを訴えたため、同年九月二六日にMRI検査を受けた。その結果、第五、第六頸椎間に脊髄の圧迫所見が認められた。また、右病院の医師は、同年一〇月三日当時、第五、第六頸椎椎間板ヘルニアのためか椎間の間隔が狭くなつていると考えており、第五、第六頸椎に脊椎症があると判断していた。そして、原告は、ミエログラフイー検査を受けるため、同年一〇月一八日から同月二二日まで右病院に入院した。右入院時、原告は、頭痛を訴え、両上下肢の腱反射の亢進、両上肢の筋力低下、頸項部硬直が認められた。そして、ミエログラフイー、ミエロCTによる検査の結果、第五、第六頸椎間の椎間板ヘルニアが確認された。右検査後、原告は、通院による経過観察になつていたが、全身倦怠、食欲不振、強度の頭痛を訴えたため、同年一〇月二五日から同年一一月八日までの間、経過観察の目的で右病院に入院した。その後、同年一一月一四日当時、原告には、両下肢の深部腱反射に改善が認められたが、握力は、左右とも三キログラムで強い頸部硬直があり、その後も右手のしびれ、痛み等があつて、症状の改善が認められなかつたことから、右病院の医師は、原告に対して手術(第五、第六頸椎前方固定術)による治療を行うことにし、原告は、平成元年二月二〇日に右病院に入院し、同月二三日に右手術を受けた。右手術を行つた医師は、右手術中、第五頸椎の椎体に脊椎症性変化が強かつたが、第六頸椎はかなりしつかりした骨であり、後縦靱帯は圧迫のみで正常であり、第五頸椎の右側後面は硬い椎間板となつていることを認め、この部分を削り取つた。原告は、右手術後しばらくの間、頭痛が軽減し、握力は左右とも一〇キログラムになつたが、その後も頭痛、吐き気、肩部、頸部硬直等の症状が持続したため、右医師は、右症状が自律神経失調症によるものではないかと考え、原告を右病院の神経内科に受診させた。その結果、神経内科の医師は、自律神経失調症と、神経学的に左上肢に位置覚の低下があると指摘した。そこで、自律神経失調症に対する投薬と経過観察が行われた結果、吐き気、頭痛が改善し、頸項部痛、両上肢の筋力低下は認められるものの、症状がある程度軽快したため、同年六月一日に退院した。右退院後、原告は、平成四年一月三一日まで右病院に通院して治療を受けた。
(四) 明治鍼灸大学附属病院脳神経外科における治療
原告は、平成二年六月一日から平成三年四月二九日まで明治鍼灸大学附属病院脳神経外科に入院し、鍼灸治療、筋力増強、運動療法を受けた。その間、原告の症状は、右入院時から平成二年八月ころまでは順調に経過していたが、同年九月ころから愁訴が増え、過換気発作をしばしば起こした。しかし、その後、平成三年三月末ころからは、状態が安定し、同年四月には、右病院の内外を散歩できるようになつた。同年四月二六日当時、原告は、頭痛、めまい、頸項部痛、手指振戦、筋力低下、左側の強い脱力等を訴えており、右病院の医師は、抗うつ剤を投与していた。
(五) 症状固定の診断
松下記念病院の医師は、原告の傷害が平成四年一月三一日に症状固定した旨の後遺障害診断書を作成した。右診断書に記載された傷病名は、外傷性頸椎症、頸椎椎間板ヘルニアであり、右症状固定日当時、原告には、頭痛、めまい、立ちくらみ、不安定感、左上肢のしびれ、手が振るえる、急に動悸が起こる、肩こりの自覚症状があり、他覚的所見としては、頸部、項部硬直、両上肢筋力低下、両上下肢腱反射亢進、左上肢知覚異常、両手指振戦が認められ、握力は、右五キログラム、左一〇キログラムであつた。
二 損害
1 入院雑費 三〇万七四五〇円(請求六一万四九〇〇円)
前記一1(本件事故状況)で認定した本件事故における追突状況、原告車と被告車の各損傷状況、被告車の修理費からすると、本件事故によつて原告の身体に加わつた衝撃の程度はそれほど強いものであつたとは解されないうえ、前記一2(原告の受傷及び治療経過等)で認定したところによれば、本件事故当日と、その二日後に受診した野崎病院では、頸部痛を訴えていたが、頸部の可動域制限はなく、神経学的な異常もなく、レントゲン検査上も頸部に異常が認められなかつたのであるから、本件事故直後の原告の症状が、単純な頸椎捻挫の症状であつたことは明らかである。ところが、本件事故の五日後に受診した畷生会脳神経外科病院では、原告は、頸部痛と頭痛等を訴え、頸部に可動域制限と緊張亢進が認められ、レントゲン検査の結果で第四、第五頸椎に不安定性が認められたものの、その他の反射異常等の神経症状がほとんど認められなかつたことから、医師は、原告の精神面が症状に関与している可能性が強いと考えていたのであり、さらに、本件事故から三カ月余り経過後に受診した松下記念病院では、原告の症状が、頸項部痛、歩行時のふらつき、頭痛、悪心、頸項部硬直と多様化し、その後も症状の増悪が急速に進み、反射亢進、両上肢の筋力、握力の低下が現れ、ミエログラフイー検査によつて第五、第六頸椎間の椎間板ヘルニアが確認されたことから、頸椎前方固定術によつて脊髄を圧迫している部分を削り取つたものの、症状の改善はわずかで、その後も前記症状が継続したため、医師は、自律神経失調症と判断して、これに対する治療を行つた結果、右各症状がある程度改善したことから、松下記念病院を退院し、その後も、明治鍼灸大学附属病院脳神経外科で入院治療を受けたにもかかわらず、症状固定日と解する平成四年一月三一日まで、松下記念病院の退院時における症状とほとんど症状の変化、改善が認められなかつたことからすると、本件事故当初の野崎病院での原告の症状と、その後の症状との間には明白に質的な相違が認められるというべきである。そして、右症状の相違は、第五、第六頸椎間の椎間板ヘルニアが脊髄を圧迫したことが原因の一つであると解され、原告が本件事故以前は運転手として荷物の配送に従事するなど健康であつた(原告本人)ことからすると、本件事故以前から存在していたヘルニア(明確な症状を伴つていなかつたもの)に本件事故の衝撃が加わつたことにより症状が出現するようになつたか、あるいは、本件事故の衝撃を契機として右ヘルニアが発生し、これによつて症状が出現したかのいずれかであると解されるものの、他方、原告には、本件事故から約一・五カ月後のレントゲン検査で、第四、第五頸椎の不安定性が確認されているうえ、第五、第六頸椎前方固定術が行われた際、第五頸椎の椎体に脊椎症性変化が強く認められていることから、本件事故前から原告の頸椎には椎間板ヘルニアを発症させ易い身体的素因があり、あるいは、本件事故以前から右ヘルニアが存在していたとすれば、右ヘルニアに基づく症状を増悪させ易い身体的素因があつたと解され、しかも、本件事故から間もなくして、医師が、原告の症状と精神面との密接な関連を指摘するようになり、第五、第六頸椎前方固定術が行われて脊髄に対する圧迫が除去された後も、症状の改善はわずかであつたため、原告の自律神経失調症に対する治療が行われた結果、症状がある程度軽快した経過に照らしても、原告の心因的要素が原告の症状を増悪、長期化させたことは否定できないというべきである(なお、乙二の1、六の各意見書は、原告の頸椎椎間板ヘルニアと本件事故との因果関係を否定するが、前記のとおり認定した原告の症状及び治療経過、本件事故前の原告の健康状態からすると、右見解は採用できない。)。
そうすると、本件における入院雑費は、原告の主張する入院期間四七三日につき、一日当たり一三〇〇円を適用した金額六一万四九〇〇円について、原告の前記身体的素因、心因的要素と、前記のとおり本件事故による衝撃の程度がそれほど強いものであつたとは解されないことをも併せ考慮すれば、右金額の五〇パーセントである三〇万七四五〇円の限度で本件事故との相当因果関係を肯定すべきである。
2 休業損害 五四六万一一三二円
(請求一〇九二万二二六四円)
原告は、昭和一八年七月一八日生まれ(本件事故当時四四歳)で、本件事故当時、富士よしの株式会社で運転手として荷物の配送に従事するとともに、主婦であつた(甲一、四七、五二、原告本人)。
右事実に、前記一2(原告の受傷及び治療経過等)で認定した原告の症状、治療経過と前記二1(入院雑費)における判示内容を併せ考慮すれば、本件事故と相当因果関係のある休業損害は、五四六万一一三二円(昭和六三年賃金センサス女子労働者学歴計四〇歳から四四歳の平均年収二七五万三四〇〇円を三六五日で割つた一日当たりの金額七五四三円を収入日額とすべきであり、これに休業期間であると解する本件事故当日から前記症状固定日である平成四年一月三一日までの一四四八日間を適用した金額一〇九二万二二六四円に前記二1で判示した五〇パーセントを適用したもの。円未満切り捨て、以下同じ。)となる。
3 逸失利益 五六九万二二円
(請求一二六三万八八一六円)
前記一2(原告の受傷及び治療経過等)で認定した症状固定日当時の原告の症状と、前記二1(入院雑費)における判示内容を併せ考慮すれば、原告は、症状固定日(四八歳)から六七歳までの一九年間(中間利息の控除として、二三年間の新ホフマン係数一五・〇四五一から四年間の新ホフマン係数三・五六四三を控除した一一・四八〇八を適用)にわたり一八パーセントの労働能力を喪失した範囲内で本件事故との相当因果関係を肯定すべきである。
そうすると、本件事故による原告の逸失利益は、五六九万二二円(前記年収二七五万三四〇〇円に前記労働能力喪失率と新ホフマン係数を適用)となる。
4 入通院慰謝料 一二五万円(請求二八〇万円)
前記一2(原告の受傷及び治療経過等)で認定した原告の症状、治療経過に、前記二1(入院雑費)における判示内容を併せ考慮すれば、入通院慰謝料としては、一二五万円が相当である。
5 後遺障害慰謝料 二三〇万円(請求四六九万円)
前記一2(原告の受傷及び治療経過等)で認定した症状固定日当時における原告の症状に、前記二1(入院雑費)、3(逸失利益)における判示内容を併せ考慮すれば、後遺障害慰謝料としては二三〇万円が相当である。
6 弁護士費用 八八万円(請求二〇〇万円)
原告の請求額、前記認容額、その他本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すると、弁護士費用としては、八八万円が相当である。
三 以上によれば、原告の請求は、九六八万六四九五円(前記二1ないし6の損害合計額一五八八万八六〇四円から、争いのない前記第二の一3(一)(2)、(二)(1)(2)の損害填補額合計六二〇万二一〇九円を控除したもの)とこれに対する本件交通事故発生の日である昭和六三年二月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 安原清蔵)